XV. The DEVIL 悪魔
中央に大きく描かれた悪魔、手前にはつながれた人間が二人。「XV The DEVIL 悪魔」はタロットカード大アルカナ22枚のなかでも比較的よく知られた図柄のひとつかもしれません。このカードは、「欲」「依存」「束縛」「自己欺瞞」「ネガティビティと向き合う」「要求を通す」「強い創造力」「結びつき(絆あるいはしがらみや執着)」といった意味をもつとされます。
カードナンバーは15、1+5=6のバリエーション。「VI The LOVERS 恋人」の6→15という流れですが、奇数なので、「VI The LOVERS 恋人」のように環境と調和したり相手に呼応したりするのではなく、外に要求する、自分の要求を相手に呑ませるという面があるようです。
青い鳥のタロットで描かれている悪魔は、キリスト教における悪魔=異教の神である山羊頭のバフォメットの姿を下敷きにしているようなのですが、川口さんお得意のモチーフのわりには難航したのだというのは気になるところ。
ですが、まずはいつものように三上さんにカードの概要を説明していただきましょう。
三上牧(以下、三上) 「XV The DEVIL 悪魔」は15番、1+5=6で、「VI The LOVERS 恋人」のカードのその後を描いているとも考えられます。手前の二人は「VI The LOVERS 恋人」の絵でキューピッドの矢に射抜かれてカップルになった二人とも言われています。角やしっぽは生えていますが、人間なんですね。
恋愛には愛情ややさしさ、思いやりといったポジティブな面がある一方で、この「XV The DEVIL 悪魔」に象徴されるようなネガティブな面もあります。たとえば、嫉妬、欲望、怠惰、怠慢、惰性というような。鎖につながれた二人は、望めばこの状態から抜け出られるのですが、敢えて縛られたままでいようと思ってる。そんな感じですね。
――川口さんは、完成するまでに苦労されて何回か描き直したとのことですが。
川口忠彦(以下、川口) いやあ、これはほんとに大変でした。
三上 といっても、このカードでは私が何か指摘して直していただいたというよりは、川口さんが悩んでいたような記憶があります。
川口 自分のなかでいろいろあって……。
――意外です。川口さんお得意のバフォメットをアレンジしてすんなり進んだのかと思っていました。
川口 バフォメットだから「XIII DEATH 死神」並にカッコよく描かなきゃという気持ちが先走っていたために、デビル=バフォメットというところで思考が止まってたんですよ。とにかくバフォメット、バフォメットをカッコよく…と。
ところが、全然しっくりこないんですよ。少し前にバンド関係のアートワークでデビルものを描いたときはいいものが描けたのに、今回は全然まとまっていかない。おかしい……おかしいな……と。ラフを三上さんにお見せしたとき、自分の抱いていたイメージの方向性が実は象意と合っていなかったことがわかって。
三上 思い出しました。ラフでひとつだけ気になったのが、「VI The LOVERS 恋人」と対の「XV The DEVIL 悪魔」のはずなのに、どちらかというと「V The HIEROPHANT 法王」に構図が似てしまっていた点でした。そこを解決するには、人物の配置を変えていただいたほうがいいんじゃないかとご提案したんですね。
川口 僕のほうは、三上さんの象意の説明を受けてかみ砕くうちに、どうやらこの絵では“人間のほうがメイン”だとわかってきて。悪魔に心を支配されて悪魔化したから「ちょっと悪魔っぽく角や尻尾があるんだ」と納得もできた。そのイメージで手前の二人を描いたところ、サイズも悪魔と比較して大きくなっていって、不思議なことに絵としてもまとまってきました。そこでようやく方向性が見えてきました。絵が象意に導かれた感じです。
――ラフでは、もっとバフォメットがメインだったんですね。
川口 カッコいいバフォメットを描こうというのではなく、象意のほうに気持ちを寄せていったら絵的なまとまりを獲得することができて、できあがったのがこのカードなんですよね。
そして自ずと関係するカードである「VI The LOVERS 恋人」の構図にも近くなってきた。
あのときは三上さんが、このカードは恋愛における「苦しいほうの局面」だと説明してくださって、自分の経験に照らして腑に落ちたら、すっと絵柄が固まってきたのです。
三上 「XV The DEVIL 悪魔」は恋愛の苦しい時期を思い浮かべるとわかりやすいですよね。誰も縛っていないのに、忘れられない、執着して離れられない。束縛したり、束縛に苦しんだり。そういうエゴや惰性、執着を表しているのが「XV The DEVIL 悪魔」です。
川口 だからメインはむしろ人間で、バフォメットは後ろにいるだけの存在なんだと気づいて。
三上 よりどころではあるんですけどね。
川口 Poor baby(可哀相なおまえ)みたいな関係性なんだという三上さんの解説は面白かったなぁ。
三上 同情、甘やかし、それによって縛り付ける依存的な関係。悪魔はやさしいのです。甘言は悪魔の常套手段ですよね。ウェイト・スミス版の「XV The DEVIL 悪魔」でデビルはオレンジ色なんですが、これは安心に埋もれる惰性を表す色と言ってもいいかもしれません。
たとえば、何かをやるかやらないかだったら、自分がやらなくてもいいかなあという依存心や怠け心を助長するのが悪魔なんですね。やさしいというのは、そういう意味です。
――やさしくして堕落させるという感じですね。
三上 「XV The DEVIL 悪魔」のカードは、西洋占星術の山羊座に対応するとも言われています。山羊座は社会システムみたいなものを象徴する。それを人間は盲目的に動かしていて、それ自体に依存していて、そこに丸投げして思考停止してしまう面がある。それが腐敗なのですが、「XV The DEVIL 悪魔」のカードにはそんなイメージもありますよね。
自分たちが変わらないで済むように、今自分のいるところが安全だと思うことによって惰性に流れる。だから安定感はあります。縛られているから安定する面もありますよね。
悪魔が悪者というよりも、それに依存しちゃう人間がたるんでるんですよ(笑)。そこに神の助けのようにして登場するのが、次の「XVI The TOWER 塔」で描かれている神のいかづちです。これが鎖=しがらみを断ち切ってくれる。
川口 この鎖の結びが弱いところが面白いんですよね。
―― これなら、逃げようと思えば逃げられる。なのに、とどまっている。
川口 そこが、「わかるなー、恋愛のときのつらいほうの感情かぁ」って(笑)。
三上 だめだってわかってるけどやめられないとか、彼と別れたら次はないかもとか。
川口 それを思ったら、この人の表情がすらすらと描けて(笑)。色んな苦い体験を思い出して、しんどかったですけど、人物のほうは結構味わい深いものになったかなあと。男のほうの腰の引けた感じ、女のほうの妙に大きな尻とか。それぞれの顔つきとか。このあたりの病的な雰囲気は、好きなオーブリー・ビアズリー的な感覚が一番濃厚に出ていると言えるかもしれません。
三上 二人の表情がビビッドで面白いですよね。これだけ人物のほうにフォーカスした「XV The DEVIL 悪魔」はあまりないように思います。川口さんに、依存していて麻薬から抜けられないような心情って説明しただけなのに、しばらくしたら電子レンジじゃないけど「チーン」と鳴ってこの絵ができあがってきたわけです。ただ、時間はかかりましたよね。
川口 気持ちの面でいちばん苦労したカードだったんじゃないかと思います。
――過去の体験を思いだしたからですか?
川口 それがまずひとつ。
それと、このカード自体、正位置も逆位置も、かなりネガティブな意味ばかりですよね。
絵を描くときは、自分の中を描きたいエモーションで満たすんですけど、たとえばタロットなら、各カードの象意を言語レベルだけではなく、気持ちとか感情のところまで拡大して引っ張ってきて、共感して、共鳴していきます。それを絵に変換していくようなことをするんですが、そうすると、この「XV The DEVIL 悪魔」のときは、過去の苦い体験を追体験したり、ネガティブな象意に共鳴していくので、自分の気持ちがどんどんそっちに引っ張られていくんですね。それがとにかくしんどかった。しんどいから、早く抜け出したいのに、構成が難しいから、なかなか抜け出せない。
――なるほど。そこにさらに“絵作り”の問題が乗っかってきたわけですね。
川口 「XIII DEATH 死神」同様、この手の表現が進化した現代なりの、という意気込みで頑張ったのですが、この構成ができるまでが大変でした。そして、じゃあ人間をメインに置こう、嫌な表情をさせようと決まったら、今度は象意の単なる「説明図」にならないように、モチーフの大きさのバランスや、配置、全体との関係性を考えながら、絵画構図として整えていくのもたいへんでした。
また、絵画としての平面構成とエモーションを両立させるのに時間がかかりました。
――というと?
川口 この「XV The DEVIL 悪魔」は、見てくれた人から「ほかのカードとタッチが違う」「あまり好きではない」といった反応が出たカードなのですが、その理由を推測するに、さっき挙げたように表情から「イヤさ」が滲み出ていたり、象意のネガティブなイメージを孕んだエモーションが空気に満ちているからではないかと思うのです。
さらに、「美しい報道写真問題」と自分で名付けたものがありまして……。
――なんですかそれは(笑)。
川口 悲惨な情景を報道するために撮られたはずの写真でも、構図や光や情景が美しすぎてしまうと、受け取った側がなんとも言えない混乱をきたす、悲惨な情景をシリアスなものとして届けたいはずのものが、どこか心地よさをはらんでしまう。どうにも甘美な衣をまとってしまう……ということなんですが。
――悲惨さを描いたはずなのに、表現する側の意図に反して美しいものと受け止められる…たとえば戦場のリアルな残酷さを写しただけの写真なのに、「美」という軸から語られることもよくありますよね。
川口 「美」って、調和とか秩序によって得られることが多いんですよ。そしてそれは、「流麗さ」「優雅さ」「上品さ」というものにつながりやすい。
青い鳥のタロットでは平面構成としての絵画性を追求していて、デザイン的な調和や秩序によって整然と作られています。似たモチーフの「XIII DEATH 死神」や、ダイナミックな構成の「VII The CHARIOT 戦車」や「IX The HERMIT 隠者」であっても、躍動感を基本に置きつつ、調和と秩序で作られています。動的な調和です。自分が手がけてきたハードコア系のアートワークでも、「躍動的な暴力性」というところでの調和と秩序をもたせて仕上げています。“痛快さ”とか“生命力”といった面では結果的にポジティブなんですね。いずれにせよ何らかの調和や秩序がある。それが「美しい」「カッコいい」ということにつながります。
翻って、この「XV The DEVIL 悪魔」は、もちろん優雅でも上品でもないし、かといって躍動的な暴力とも違う、なんとも気怠い、底なし沼のようなネガティブさを持っています。
描いているうちに、そこに渦巻くもの=エモーションを絵に置き換えるには調和と秩序は使えないと徐々にわかってきたのです。
自分の中で培ってきた、「カッコよく」「美しく」整えるセンスを使おうとすると、どうにもこのカードで表すべきエモーションが薄れていってしまう。
このネガティブなエモーションを最優先に、しかし最終的な仕上がりとして、プロの作り出すものとして最低限の絵的なまとまりはなければいけない。調和や秩序の、最低限のさじ加減を見つけるのに大変苦労しました。そういう苦労は22枚でこのカードだけです。
――そんな困難があったんですね。
川口 「怖くてカッコいいバフォメットを描こう!」という最初の自分の気持は粉々になっていきました(笑)。いま振り返ればこのように言葉で説明できるんですが、制作中は手探りでした。そんな調整の結果、「滲み出るネガティブさ」が実現できているのだとしたら、それはそれで嬉しいのです。辛かったけれど、ほかになかなかない工夫という意味で、思い入れがある一枚かもしれないです。
――このカードでは、青い羽根が舞っているだけで、鳥はいないんですね。
川口 この羽根は、このカードと対になっている「VI The LOVERS 恋人」のカードで舞っている羽根の画像を、そのまま反転させているんです。後ろのカーテンは、「VI The LOVERS 恋人」の後ろにある木を反転させたイメージで。「VI The LOVERS 恋人」のカードとの対比をそこかしこにちりばめてみました。
――細かい見所もたくさん仕込まれているんですね。カードの順を追って青い鳥を追いかけるだけでも楽しめることがわかってきました!
「XV The DEVIL 悪魔」制作をめぐる裏話、いかがでしたか?
次回は「XVI The TOWER 塔」。従来のタロットカードと違って下から仰ぎ見た構図で、動きのある絵柄が新鮮です。いったいどんなお話が飛び出すのでしょうか。どうぞお楽しみに。
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注 ウェイト・スミス版:ライダー社の、通称ウェイト版のこと。パメラ・スミスが作画を担当したことも考慮に入れ、この対談ではこのように表記します。
[取材・構成 藤井まほ]