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『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』

2003年2月13日 ヴィーナス&ブレイブス が発売されました。私の人生でたった一つの、大切なゲーム監督作品です。


2019年に描いた「記念絵」が、SNSで比較的多くの反応をいただき、

それをきっかけに、2019年2月に『セブン~モールモースの騎兵隊~』と『ヴィーナス&ブレイブス~魔女と女神と滅びの予言~』について、初めて深く掘り下げた記事を書きました。


ヴィーナス&ブレイブス 18周年記念絵

この2作の開発思想についての“内面のノンフィクション”です。


その5年後の2024年。


9年ぶりの個展を経て後半に大幅追記をしました。


少々長くなりますが、興味のある方は、どうぞご一緒ください。

 


 


『自分の世界観でRPGを一本作りたい』


就職の面接で、そう言った。


入社した株式会社ナムコ(現バンダイナムコ)で、早々にリッジレーサーと初代PSを見せられた。


小学生の頃からドット絵を描いていた自分は、FF5 とか女神転生みたいなドット絵を描きたかったから、「いよいよ家庭でもポリゴンかぁ」と、少し不安になった。


しばらくは若手らしく求められた仕事をこなし、20代半ばを過ぎてからは、オリジナル企画に積極的に絡むようになった。


レースゲームやスポーツ、フライトなどのいわゆる『シリーズ物』の仕事を断り続け、年々査定を下げながら、オリジナル企画に注力した。『これ』と思った先輩のゲームデザイナーが立てる企画に、ビジュアルとして参加…しては、ポシャることの連続。


後で思えば、ここでポシャった企画をいくつも体験してきたことが大きな財産になった。


オリジナルゲームはさまざまな理由で頓挫する。


なぜ、新しい製品が生まれにくくなっているのか、さまざまな角度から体感できた。


セブンのときにも何度か訪れた『新規企画の危機』を(力づくにでも)乗り越えることができたのは、ここまでの経験の賜物だと思われる。


20代の終わりにやっとたどり着いたのがセブンの原型の試作品だった。これまでの経験を活かす形で、ヴィジュアルチームのリーダーとして関わることになった。

 



※注釈


このテキストは『セブン~モールモースの騎兵隊~』『ヴィーナス&ブレイブス~魔女と女神と滅びの予言~』と、そこでの私の仕事について多く述べているが、文中、

『セブン~モールモースの騎兵隊~』を以下『セブン』、

『ヴィーナス&ブレイブス~魔女と女神と滅びの予言~』を以下『V&B』あるいは『ヴィーナス』と略す。


また、V&Bについては、私が監督したのは原作であるPS2版のみで、PSPのリメイク版についてはほぼノータッチである。


セブンも、V&Bも、

「作品として、また私の仕事として至らぬ点は多々ある」

「一人で作ったのではなく優秀な仲間たちと力を合わせて作った」

のは間違いのないことであり、前提である。


以下毎回但し書きを入れると煩雑になるので省略するが、前提にそういった認識があることを踏まえての考えなのだということ、補完願いたい。


また、意図的に他のスタッフ個人のことには言及しない。私個人の視点から見た、私のテキストであることと、各個人が現在どのような立場で、名前が出ることに対しどのようなスタンスで日々を暮らしているのか、確認しきれないためである。

 


 


『東欧やロシアの絵本やアニメのアート感覚をゲームのヴィジュアルに』-セブン-



製品化が期待できるオリジナルタイトル、しかもファンタジーRPGのアートディレクター。ようやく掴んだ舞台。

せっかくの機会だ。これまでのプレイヤーとしての想い出、開発者としての数々の考察や知識を駆使して、メインストリームの潮流に乗るようなヴィジュアル表現とは一線を画すようなことをしたかった。


当時は 「3DCGをみんな頑張っていこう!PS2になってポリゴン数増えたし!」 という時期。


黎明期のPCゲームなどから多くの衝撃を得ていた私にしてみれば、ゲームのヴィジュアルが 「イメージ」「雰囲気」「情感」みたいなものからどんどん遠いところに行ってることに“怒りに近い物足りなさ”を感じてもいた。まだまだゲームヴィジュアルの選択肢は無限にあるはずだろうと。


3DCGの対極を行く、雰囲気・情感が満載の表現にしたい。その上で、「タッチが違う」とか「設定が違う」というレベルではない、アートレベルでの違い。「放つオーラが違う」、「空気が違う」、「匂いが違う」、そういう装いをRPGのヴィジュアルに持ち込んでみたかった。


様々な思案の末、東欧やロシアのアートアニメや絵本などのアート性・薄暗さとアート感覚に、和製RPG的な剣と魔法の世界を掛け合わせてみる。セブンの世界の誕生である。(至極簡略化すると)


そのイメージの草案を持ち込んだのが私だったことから、セブンでは演出全般のディレクションを任せてもらった。


ストーリー、ゲームデザインを除き、音楽のディレクション含む総合演出、ビジュアル全体に渡るアートディレクション、個人作業としての背景美術制作。編成画面などインターフェースの草案や、職種の紋章、使用フォントの選定など、ビジュアル面ではかなり細かいところまでこだわった。


ことごとくがその時の主流とは違うチョイス。


・3Dやプリレンダリングの背景が大ブームの中での、手描きの2D背景


・3Dムービー全盛の中にあって、映像よりもナレーションを主体とする絵画的2Dムービー


・絵本系の朗読といえばこの人、という癒し系の声優や女優とはまったく違う畑の、ピチカート・ファイヴ野宮真貴氏の起用


・全体に薄暗さのあるヴィジュアル(例えば青空が最後にしかない)


・空間よりも平面に帰結する絵画的背景表現 ・現代音楽的なアヴァンギャルドなムービーBGMなどなど


これらは、当初プロジェクト内からも不安視されたが、

それこそが、挑戦の証であり、必要なことであった。


それらと、ナムコ的なクオリティの高さや、エンターテイメントらしいおもてなしの心をバランスさせて、ユニークな総体を作る。


そうして、その当時の主流になっている表現や潮流に真っ向から反対し、プレイヤーの皆さんや、同じ作り手達の心を撃ち抜くようなものを、と強い反骨精神と挑戦心で臨んでいたのが、セブンという作品のヴィジュアルと演出であった。


それをナムコというメジャーブランドがやることに、業界的な意義があると信じてもいた。


自分個人としては、実力不足が故にやり残したことはとても多く、思い出すと落胆する部分もあるけれど、素晴らしいヴィジュアル、ムービー、サウンド、そしてプログラムのスタッフたちに恵まれて、面白いビジュアル、演出になったと自負する。

 




転機-セブン発売からV&Bまで-



そんな反骨精神たっぷりで挑んだセブン。


だが強い意気込みとは裏腹に、製品の売れ行きは今ひとつであった。


時代はSNS以前。

プレイヤーの皆さんの感想は、アンケート葉書、ゲームレビューサイト、ゲーム系掲示板、個人サイトなどに限られる。


そこでは概ね好評であるが、多く見られたのは、


システムも良く面白い。雰囲気もよい。しかし両者が噛み合っていない


というものだった。


それは至極的を得た意見だった。開発体制そのものであったからだ。


そして、もう一つ。


もともとの狙いとして、


『好きな人は猛烈に好きだが、嫌いな人も、興味ない人も多い


という支持のされ方をイメージしていて、ある程度は実現できたのだが、それにしては

『好きな人は猛烈に好き』の熱量が、イメージよりは沸騰しきれていないように見えた。


私自身が、発売後、気持ちを落ち着けて自宅でプレイした時に感じた、


なんと上品で心地よく、そして淡々としているのだろう


という感触と合致するものだった。


あんなにも挑戦的な姿勢で、爆発的にエネルギーを注ぎ込んだのに、こんなにも上品で淡々としたものになってしまったか。


かなり強い反骨精神を持って、当時のゲームのメジャーシーンに挑んでいたつもりが、とても上品でやさしいパンチを繰り出してしまった。


決して失敗ではない。「絵本」や「アートアニメ」としてはそれでいいのだ。


だがしかし。


絵本に7800円払うのか。

7~8000円なりの期待と満足とはなにか。


そんな自問自答が始まった。


セブンというひとつのゲーム作品を通じて感じてほしかったのは、

“壮絶なエネルギー”であり、

雰囲気とか、おしゃれとか、そういうレベルのことではなかった。痛快な衝撃を与えたかった。


だが、そういった手応えは、乏しかった。


もっともっと、心に深く突き刺さるゲームであるためには。

一生忘れないような作品であるためには。

思春期~青年期の美意識に方向転換を促すようなもの、

良い方向に人生を変えるきっかけにさえなるような、良い作品とは。


『嫌いな人、興味ない人は多くとも、好きな人は本当に、めちゃくちゃ好き、死ぬほど好き、狂おしいほど好き


そんな風になってもらえるようなゲームとは。





 

『ゲームよ、“劇的な体験”であれ』 -ヴィーナス&ブレイブス-



少なくともRPGは新しい体験、新鮮な体験でなければいけない。

絵や演出がすごいだけでは、体験にはならない

すべてが伴ってはじめて体験になる。

そして、7~8千円というお金と、数十時間という貴重な時間を使って得るものは、

“劇的な体験”でなければならないと結論した。


雰囲気がいい、で片付けられているようではインタラクティブなエンターテインメントメディアであるゲームとしては、敗北である。


ああいうヴィジュアルや演出をしたことは、凄まじいエネルギーであったのに、その凄まじさが、もう一歩、プレイヤーたちの心の奥に到達しきれなかった。


それは、あくまでも“ヴィジュアルや演出”という一領域のことだったから。


体験として、凄まじい、劇的な体験をしてもらいたい。


喜怒哀楽を揺さぶりまくる。その為には、絵に関してはもっと扱いやすいものでいい。

声優も入れたりして、いわゆるJ-RPGに少々近づこうとも構わない

事実、「ゲーム開発の真の猛者」たちは、メジャーなメーカーではなく、アンダーグラウンドな角度から、低予算で、ギャルノベルの姿を取りながら、しかし“ゲームでしか表現できないような、とんでもない体験”を生み出し始めているではないか。


全てにおいて意地を張ってハイセンスな『部分』を作るよりも、

『全体』が猛烈なエネルギーを持つように、『部分』達にも協力してもらおう。


キャラクターも、背景も、喜怒哀楽を激しく揺さぶる、凄まじい体験を作るのに、動きやすい方がいい。

悲劇や死がしっくり来るように、人形ではなく、生身の人間のように。そのために等身を変えよう。

音楽も、オリジナリティの高い不思議な世界のものではなく、王道なオーケストラファンタジーにしよう。

ロケーションごとではなく、心情・感情ごとに寄り添った楽曲を用意してもらおう。


部分部分は、セブンに比べるとかなり、トガリが少なく、悪く言えば“凡庸”なものに近づいていく。

そのかわり、それらの感覚要素が一体となって絡みあう、

昨今のゲームにはないような「匂い立つようなファンタジー」を作ろう。

その世界の上で、ゲーム性と連携したストーリーとで“劇的な体験”を生み出そう。

そこまでいけば、部分としてやや凡庸であっても、全体としてはセブン以上に非凡なものになるはずだ。


全体は完成するまで見えない。

それまではどうしてもやはり部分の変化が目立つから、

「あんなにハイセンスで野宮真貴さんまで起用したあんたが何やってんだ」、と失望もされた。自分でも「大丈夫か」と、少しは思った。


しかし、結論ははっきりしていた。

全体が、「ある一点に向かって」統一されていなければならない。

ひとつひとつのパーツは、全体で一つの方向に向かっていかなくてはならない

セブンで、あれだけアーティスティックに際立った姿を生み出した、根本のアグレッシヴさを削ることなく、むしろさらに凶暴化して、矛先だけをもっと高いところに、焦点を絞って、そこに向かって叩きつけようと決めた。


なにしろ、原型は「あの『セブン』」なのだ。そして、(自分を含めて)それを支えたクリエーターたちなのだ。


少々上っ面を変えたところで、この強いエネルギーは、必ず伝わるはずだと思った。

全ては「劇的な体験」のため。

 

そうして


絵本から劇場版へ


というスローガンを掲げ、開発を始めていくことになる。

 

ゲームシステムを「劇的に物語化して見せる」、その“ための”ストーリーであり、それを成り立たせる“ための”キャラクターであり、ヴィジュアル、音楽であるという序列。


けれど、ゲームシステムを頂点とするのではなく、全てが連携して、さらにもう一段抽象度を上げたところに、全てが向かう


それら全てのパーツが、まだ見えない「ある一点」に向かって集約されるという構造。つまり、全てが織りなす“劇的な体験”という、もはや言葉や資料などではにわかに共有できない抽象的なイメージ。


これを実現するには、誰かがその全てを統括しなければいけない。

今のこの環境なら、もはやここまで考えを詰めてきた自分がやるしかない。

有り難いことに周りのスタッフたちも歓迎してくれた。


そこからはそれはもう、セブンと同じく全体演出やビジュアルの細部(章題やオリジナルのデザインフォントなどいろいろ)に手を動かしながら、ストーリーの原案から脚本構成、ゲーム構成、音楽のディレクションや声優収録のディレクション、一部のゲームデザイン、一部シナリオシーン、予言の文言、実装スクリプトの細部調整、BGMの割り振り、コンマ秒単位のリクエスト調整、果ては製品のロゴデザインまで、自分でも驚くほどの仕事量で、どうにか新しい体験、劇的な体験を作り上げることができた。


率直に言えば、ヴィジュアルや演出面に関しては、単体で言えばセブンのほうが、アートとしてのレベルは高いと言える。しかし、その様に高い熱量を、「優れたアート表現」ではなく、「劇的な体験」に発展させた結果、ヴィジュアルや演出の方向性が必然的に変わることになったのだ。


そして、V&Bは、商品的にもしっかり利益を出し、『好きな人は本当に、めちゃくちゃ好き』な一作になることができたと自負している。

 




生涯創作家であり続けるためにゲームクリエイターを終えた



そのように、「ゲームというものに何が必要なのか?」「どうすれば新しいものが生み出せるのか?


日々研究しながら形にすることは最高に楽しかった。


もしかしたら自分はなりたかった画家やアーティストの方ではなく、このままゲーム業界で監督業を続けていくのかな、実は向いているのかな、という未来像を抱いたことも実はあった。


しかし、発売後に、いくつかの事件や変化が起こった。



(1)自分にとって創作物は、「自分の“代わりに”社会と関わるため」のものだった


言うまでもなくゲーム制作は集団作業である。その事自体に直接的に不満を抱いたことはなかった。だが、もう少し自分の創作意欲の源泉のあたりに矛盾があった。それに気づいてしまった。


人と関わるために作品を作るはずなのに、作品を作るためにまず人としっかり関わらないといけない。これが大きなジレンマで、自分にとってかなり心的負荷のかかる作業であると気づいてしまった。


感受性の感度を下げてしまえばできる、けれど、それをするとそもそものクリエイトに支障が出る。どうもおかしいな、やればやるほど孤独になっていく、孤独感が増していく、恐ろしい…と。



(2)この目を疑うような、酷い目にもあった


一方的な言い方になってしまうのは良くないので、詳しくは書かないが、かなり強い人間不信を埋め込まれるような体験。



(3)『自分の世界観でRPGを一本作りたい』という “最大の目標” を達成してしまった



(4)作品としては良いものができた。利益も出た。しかし、「大ヒット」には至らなかった


あれだけ自由に、自分を信じてもらった結果が出て、

「もう一度バッターボックスに立つ」のは、どうなんだろう。

と考えてしまった。クソマジメな私。処世術、という意味ではそんなものお構いなしに、続けるという手もあったかもしれない。

いや、まずはその様に考えるべきだったのだろう。


そういう強さ、人の世を生きていく上での社会的知性が足りなかった。


その大本は、私の美点であり、大事にしたいところでもあるが、

自分の仕事の価値づけを他人に委ねるようなスタンスは、良くなかったと思う。



(5)ゲーム会社は「会社」である以上、少しずつ立場を変えていく必要に迫られたりもする

 



V&Bを作るために日々ゲームのことだけ考えて研究していたことは、やりがいがあった。学生時代に絵を描いていたときと同じような幸福感があった。


一心不乱に創作だけをすること、まだ姿かたちが全く見えないものをイメージして、作っていくということが好きだ。そして、それを自分に適した形でやるためには、正直なところ、一人でやる方がいい。



そのあたりを全て勘案した結果、

至らぬ点は多々あれど、やりきったのではないか」と。

ゲーム演出家および監督としては、これで完結ということでよいだろうと。


自分の創作を極めるという道の中で、自然な流れとして、これにてゲームクリエイターであることを完結させた。


「またゲーム作ってください」と言われたりすることもあるけど、述べたように、色々考えて「やりきった」と判断して決めたことなので、特に作りたいとは思わない。もっと次のことがしたい。


だから、後にも先にも、ゲームはこれだけ。


ヴィーナス&ブレイブスが、初監督作にして、最後のゲーム監督作品。


いまやゲームをつくる人はたくさんいるし、 私は自分にしかできないことを、やりたいなと思った。


セブンやV&Bのとき、そうであったように。


ゲームというフォーマットではない

チーム制作というスタイルではない形で

純粋に創作を追求してみたかった。

 



「完結した作品」そして「広がっていく世界」



ゲーム開発を終え、個人活動に軸足を移し、

話は一気に飛んで2018年。


発売15周年としてV&Bのいわゆる「記念絵」というものを初めて描いた。


それまで私はほとんどセブンやV&Bの絵を描くことはなかった。

「似たような雰囲気の絵」も描かなかった。


避けていた。


ゲーム作品に関しては、第一に「完結した作品」であって、それをどうこうすることがあまり美しいと思えなかったこと。


著作権を持っていないし、プロジェクトで作り上げたものであって、個人作品ではない、という前提。


それに加え、プロジェクトの進行中に、いくつかの思い出したくないような酷い記憶…自分の存在が、心血を注いだ事実が、否定され消し去られていくような、できることなら忘れてしまいたい、そんな体験。



などなどが、ないまぜになり

もう、自分の創作世界から切り離して、忘れてしまおう、

「絵」という意味では封印してしまおう、ぐらいの思いがあった。


「表現したいものぐらい、他にいくらでもあるさ」と。


実際に、その間は音楽関係のアートワークなど、違うテイストの絵を盛んに描いた。

ところが…そういった、いわゆる「頼まれ仕事」から軸足をシフトさせ、個人の創作を探求し、自分にとっての理想世界を心の深くまで求めていくと…どうしても現れるのだ。


『幻想的』で 『エモーショナル』で

寂しいような、優しいような、そんな『物語性』があって

『永遠や神秘』『人が生きて死ぬこと』や『孤独』にまつわる多様なイメージが。


ゲームを作っていた時、

「こんな世界をゲームにあてたらどうだろう?」

と夢想し高揚した、心の奥底にある、自分の原風景のような光景が。


それらは、少年期から思春期に、さまざまな作品や現実世界に触れて、少しずつ蓄積してきた、もともと好きだったものたち。

誰ともわかちあえず、わかりあえずに、ひっそりと孤独な心のなかに育ててきた宝物


セブンやV&Bという具体的な形になる『前』の、

《源流》となる、自分の創作の水脈。


「そうか…」と。


この《源流》。


自分の創作世界にとって、とても大切な、神聖な領域で、無くてはならないものだった。

一度や二度、何かに使ったからと言って、「それでおわり」にして良いようなものではなかった。


「表現したいものぐらい、他にいくらでもある」なんて、強がりに過ぎなかった。


この《源流》に立ち返り

自分にとって最も切実な世界を創作していけばいいではないかと。


『セブン』『V&B』というすでに完成・完結した二作品は、

その大きな水脈から生まれた美しい果実であり、

同時に、多様に実る可能性のうちのあくまで“一つ”の形。


同じ源流から生まれたそれらの《完成品》を大切に守りながら


《新たに広がっていく世界》


を描くことができるではないか、と。


 

源流》 に立ち返り、新たに創作世界を広げなおす、あらたな創作の旅。


そうして、自分にとって大切な、懐かしく新しい『幻想世界』を描くために、多くの研鑽と試行錯誤をしながら、


年に一度、セブンとV&Bの発売日には「記念絵」を描く、という日々を過ごすようになった。

 


それが2018年。

V&B発売から15年後のことである。

 





新章開幕 セブン・V&Bの《その先》へ



それからさらに5年。2023年。


V&B発売20周年の年の暮れに、

9年ぶりの個展を開催することができた。


続編や新作の「ゲーム」ではない。

「個展」だ。


そう。ただの個展。

ゲームとは違い、大勢のチームで作っていない。CMもされない。

戦闘も、イベントシーンもない。

ただひとりで作った作品を並べて見てもらう、

絵描きやイラストレーターがよくやる、いわゆる「個展」。


―それでも。

ゲーム制作を離れて20年

絵描きとして最後に個展をしてから、すでに9年


以来、真剣に取り組んできた創作をひさしぶりに、

まとまった形で見ていただくための、自分にとって重大なイベントだった。


なぜならわたしは

セブンやV&Bといった「ゲームの《その先》」を見せたいと思ってきたから。


「ゲームをつくれない代わりに絵を描いている」のではなく


ゲームで表現したかったことを


『絵や、添えた詩篇で伝えることが十分可能だ』


と信じて描きつづけてきたから。


何年もの間、幻想絵画と詩篇で表そうとしてきた

《永遠》 《神秘》 《叙情》


それらをスマホの、SNSの画面から取り出して

現実世界で、現実の空間として

最も良い形で見てもらいたい。


『自己主張を超えた理想の作品空間をつくるには?』『このSNS社会の中でわざわざ空間に作品を並べわざわざ足を運んで頂く意味とは?』(個展構想中の考察メモより)

そんなことを何度も何度も考えた。


ゲーム制作を自ら離れ、ずっと目指してきた

ゲームという総合体験に並び、超えうる「表現」を、どうにかできはしないものかと。


自分が様々なゲームで得た感動と、多くの美術・アート展示を行脚して得た独特の魅力、あるいは課題を考察し

自分にできうる限りのベストな表現を目指す中で、


結局、自分を助けてくれたのは、

10年近く蓄積してきた《現代アートの展示空間の記憶》と、

ほかならぬ《ゲームディレクション》のスキルだった。

 



かつてV&Bの制作時に


「ゲーム性とかヴィジュアルとかいうよりも、《体験》だ」と気づいたように


わたしの目指す個展は


「絵を並べるというよりも《空間》全体、そしてそこで得られる…やはり《体験》だ」


と思い至った。


 

《ゲームというメディア》の中に

架空の世界をつくり

絵と言葉と音楽と

プレイヤーの行動

その内側に見出される心的な物語体験を生み出したように


今回はそれを《空間というメディア》の中でつくることができれば、悲願が達成できるかもしれない。

少なくとも何かしら面白い、《新しい感覚・体験》を作り出すことが可能なのでは?と。


絵と言葉を組み合わせ、

さらに音楽を自作し、融け合わせ、不思議な世界を作る。

それらを一方的に見せるのではなく、自らの《体験》として感じ取ってもらう。


そんな『個展』はできないだろうか?と


自然とそういう思考になっていった。

 


これを、ゲームの視点から見ると


ゲームという形から、バトルとか、パラメーターとか、ゲームオーバーとかを除いた、《世界観》の領域


そしてそこから得られる


《エモーション》そして《物語的な体験》


…まさに、わたしがV&Bで心血を注いだところそのものだった。

 



事実、この個展の準備期間の数ヶ月は、これまで3回開催した個展のどれとも違い

むしろV&Bの佳境の時ととてもよく似た状態になっていることに途中で気づいた。

創造する世界をまるごと内側に宿し、育てながら

毎日毎日、考察を重ね、書き散らしていく膨大なメモ


絵・言葉・音楽という全体を行き来して有機的に繋がり変容・成長していく演出案

数珠つなぎで出てくる新しいアイデア。

― 創造活動に対する完全なフロー状態


ここ10年以上専念して学んできたアート展示や美術への造詣と

かつてゲームで鍛えたスキルをまるごと使って、

ゲームの《その先》を作ろうとしている、

そんな確かな手応えがあった。


たどりついたのは


30の《幻想絵画》

30の《詩篇》

空間に点在し、鑑賞者を包む

30分の《空間音楽》


鑑賞者はその中で

《永遠》《神秘》《孤独》といったさまざまなエモーションの断片を見つけ

やがてそれぞれの心のなかに、

自らの体験と結びついた物語を紡いでいく。

 



そんな試み。


―結果はどうだったのか?

 



2時間、3時間とかけて会場を何周もする方。

ひとつの作品の前に何十分もずっと佇んでいる方。

会期中に何度も何度も訪れてくれる方。

感想を伝えてくれるわずかなやり取りの中で

言葉をつまらせ大粒の涙を流してくれた方も1人や2人ではなかった。

女性も、男性も、何人も。


30点のうち、セブンやV&Bの記念絵はわずか3点。

それ以外はセブンやV&Bとは違う、新しい幻想世界の作品。

記念絵の周りに人が集中するわけでもない。


セブンやV&Bの愛好者の方たちからも、それらに全くノータッチの方からも大好評を頂いた

 

試みの結果は…


成功、と言わせてもらおう。

 



《源流》をたどり、そこから《広がっていく世界》の純粋さは、ちゃんと伝わった。


セブンやV&Bで見せた世界をさらに拡張して広がった《その先》の表現を、

ようやく現実世界に作り出し、体験してもらうことができた。

 



「個展というもので初めて泣いた」

「ギャラリーで泣くとは思わなかった」

「ゲームでは未だ感じたことのない感情が込み上げてきた」

「いままでたくさんの個展を見てきたけど、ダントツで一番良かった」

「何十本ものゲームをプレイしたような感覚」


と言っていただけた。


V&Bのとき「ゲームで初めて泣いた」と言われて、喜んだことを思い出す。

 



そういった、(わたしが少し得意かもしれない)

大きな大きなエモーションの塊で、触れてくれた人を包み込む表現を

ゲームではない、進化した形式で、

実現できたことに、大きな達成感を得た。


自分にとっては大きな一歩、躍進だと言わせてほしい。


だって「生涯創作家であり続ける “ために” ゲームクリエイターを終えた」のだから。

 


『新章開幕』


ゲームの《その先》に、自分がやりたかった世界が、ついに拓けた。

 



2023年。

V&B発売から20年後のことである。

 



そして紡がれていく物語


個人での創作を模索し始めて20年。


ここまでようやくたどり着いた。


長かった。

日々楽しく過ごしてきたが、過酷な局面も多々あった。

迷いも悩みも多かった。回り道もたくさんした。

正直に言えば、挫折寸前のことも一度ならずあった。

 


でも、もう迷うことはない。


今は


「続編を作るつもりで、この形式をこのまま、まっすぐ育ててみよう」


と思っている。


そんなこと、ゲームを作っていたときには、一度も思ったことがなかった。

シリーズものや続編にまったく気持ちが向かなかったタイプだ。

でも今回ばかりは違う。


自分の持てるものをすべて駆使して作ったこの新しい表現が

体験した皆さんにご好評いただけたことは、この上なく、ほんとうにありがたい。

つくり手の思いと受け手の感じ方は往々にしてずれがあるものだから。


この感じが伝わるならば、わたしはこのスタイルでこの世界を広げていきたい。


残り時間はそう多くない。あと10年か15年ぐらいか。


これまでは作風をさまざまにガラッと変えながら制作してきたが、もうそんなことも(おそらく)しない。


体力のあるうちに、コンスタントに個展を開催し、画集を制作していきたいと思う。


個展もあと何回できるかわからない。


セブンやV&Bに思い入れがあり、

その後のことにも(こうしてこのドキュメントをここまで読み進めてしまうぐらいに)興味があるあなたには、ぜひ個展会場に足を運んでほしい。


何年もかけて描き連ねた絵と詩を、

さらに数ヶ月間、準備に専念し、凝縮させて

物語を空間に展開し、音楽と融け合わせる。


たった数日、数十時間の間だけ《観測》可能な現象。

そこで得られる《体験》


あなたが愛したゲーム作品をつくった人間が

さらに創作を突き詰めて実現した世界。


それを《観測》して《体験》し、見届けてほしいと思う。


「セブン」の独特の空気感や「V&B」の世界に満ちていたエモーション

それらを好むあなたなら、きっと “何か” を感じとってもらえるはずだ。

 



2023年の個展にも、まさに「北は北海道、南は沖縄」の言葉通りに、全国各地から多くの方が見に来て下さった。(ほんとうに各地遠いところからいらしてくださり、心から感謝しています。ありがとうございます。もちろん近場の方にもです)


人によっては東京は遠いかもしれないけれど、限られた機会。

ぜひ検討してみてほしい。


なにせ、今はまだ、わたし個人の自主企画・運営。

個人でこの規模の『遠征展』『巡回展』をするのは、現実的に不可能。

自分以外の人が動いてくれて『巡回展』をできる日は、きっとまだまだ遠い、夢の話。


わたしも、生きているうちに美術館で、全国で開催してもらいたいので、一生懸命がんばるけれど。


国内であれば、それを待つよりも来ていただいたほうが早いだろう。

 


個展の内容を収めた画集はつくり続けていくので、

来られない方はそちらだけでもぜひ入手してほしい。


《空間》と《環境音楽》の要素がないが、本というシンプルな形で、

《幻想絵画》と《詩篇》の融合で紡がれる物語を体験できるようになっている。


 

おわりに


綴ってきたように『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』という作品は、

私にとって大切な大切な作品です。


それぞれ、好きでいてくれた人、今も一番好きだという人、本当にありがとう。


心から感謝いたします。

 

もしかして、

セブンやV&Bという作品越しにわたしを見ると、

あたかも『全盛期』があの頃に “見えて” いるかもしれないけれど、

それはまったく事実とは異なります。


創作の各分野に対する技量、知識、思考。

さらには意欲、情熱と、愛。

すべてにおいて今のほうがはるかに充実しています。

日々の制作の楽しさも、体感の幸福度も今の方が何十倍も大きいのです。


わたしの価値観では、TVでCMされるとか、数十人のスタッフを従えるとか、そういうことは重要ではなかったです。


自分の心に忠実に、未だ存在しない新しい発想や感覚を求め、自由に果敢に試行錯誤を楽しみ、一つの作品の出来不出来に喜んだり悔しがったりする。

なによりも、自分が信じる理想や希望の世界に、まっすぐに純粋にアプローチしていける、そしてその “冒険” に誰かを巻き込まない。


そういったことが大切だったのです。

 

とても時間がかかったけど

「『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』」に連なる創作世界は

《源流》から新たにひろがりはじめ

物語はふたたび動き出しました。


 

最近は、同世代や先人クリエイターの急逝が増え、否が応にも、終わりを意識します。


わたしはもともと病弱だったので、どこかで覚悟しながら、日々を生きています。

 

まずは2023年。

とにかくひとつ。


「完成」といえる形で、個展空間と画集を残せました。


長くかかったけど、とにかく「まずはひとつ」。

 


あまりにも長くかかったし、尊敬する先人たちに比べれば、あまりに小さく、ささやかなもの。


でも、死ぬ前に、『これがわたしの創作だ』と言えるものができました。

なんとか間に合いました。良かった…。


まだもうすこし、命の灯が尽きるまで、時間の猶予があるかもしれません。


 

動けるうちに、

いけるところまで

いってみます。

 

なつかしくて

あたらしい

幻想世界で逢いましょう。


 

川口忠彦

Tadahiko Kawaguchi

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2019年2月 初稿

2024年2月 追記

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